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キリスト教の罪悪2 [ポジティブ]





前回もキリスト教の悪を書いたが、、、


日本では何故か?
キリスト教の印象は「イスラム教」などより良い印象でもある。


多分、
日本社会が色々な意味でアメリカ社会に寄り沿っているので、
簡単にアメリカ社会を受けているだけか?


御存知のように、
アメリカ国家はキリスト教社会である。


日本人が神社や御寺に手を合わせる生活環境にあるように、

アメリカ人も何かあるたびに、

「例えば」スポーツ等しているときなど、
胸で十字架を切る素振りを見せたり、
日曜日は教会に出かけたりで、
それ位アメリカ社会はキリスト社会とも言われる。


日本でもキリスト教の影響も大きい。


下手すれば日本でキリスト教の悪口などでも書けば、
アメリカ社会を否定しかねない状況にも捉えられる。


聖書の内容からしても、
キリスト教の印象が良く見える。


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例えば聖書の中の「山上の垂訓」などにもよると、
「右の頬を打たれれば、左をも向けなさい」
「汝の敵を愛しなさい」「裁くな、裁かれないためである」
「人からしてもらいたいと貴方が望むことを、人々にしなさい」
「あなたから借りたいと思う者に背を向けてはならない」
「下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい」と。


何らか聞いているとキリスト教の聖職者や宣教師、
牧師、神父などのイメージが良い印象と映る。


しかし、
それは単なる教科書の中なの教えであり、
彼等がそんな高尚な人間というのは、
「我々が勝手」に創ったイメージである。


キリスト教の聖職者などは、
日本の生草坊主と何ら変わりがない。

実際、短気でもあるし、変なことを口挟むと、


無視されるか!「睨み返される!」



恫喝は日常茶飯事である。


特に、
「韓国系のキリスト教員」は、
日本国家や神道を平気で批判する。


中々他人を許せるような、
大きな心を持ち合わせて居るような人物連ではない。


メディア等では放送されていないが、
聖職者の信者へのハラスメント、
少女信者への淫行は多い。


一部の宗教者だけかと思ったが、
案外常識から外れた聖職者が多い。


「キリスト布教」のためなら何でもありである。

キリスト教の暗黒部分の歴史は、
殆どが布教の「口実」のために、
他人の国の文化や土着の宗教を破壊。

侵略、剥奪を繰り返している「暗黒宗教」とも言える。



一部のキリスト教員は、
それはキリストの名を借りた者の仕業と、
素直に認めず、
私らとは違う!

と事実を目にしない。

結局同じキリスト教の名の下のキリスト教員であるが、、



現代でもアラブ圏に見境無く宣戦攻撃をしかけ、
何百人の難民を溢れさせているのも、


イスラム教や仏教や神道その他の宗教でなく、

「キリスト教社会人」である。




16世紀頃はキリスト教の「暗黒時代」と呼ばれるぐらい、
「魔女狩り」が発生している。

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魔女狩り?と、、
一般常識の人間からは考えられない行為と思えるが、

今でも一部の国では続いていると聞く。??



元々魔女狩りの根は創世記に出てくる「イヴ」にあり、

神の似姿である「アダム」を破滅させたのは、
「女」と言うことから、

女のせいで我々は皆死ななくてはならないという理屈から、


「魔女狩り」の発端となっている。




それを今でも真に受けて、
キリスト信者は「魔女狩り」に奔走する。

昔は魔女として捕らえたら裸にして取り調べをして、
体の何処かにアザでもあれば「魔女」として扱い。


理不尽に「処刑」とする。



その処刑も悪魔ということで残酷な処刑となり、
何百万人何千万人の女性が魔女狩りの、
犠牲となり処刑されている。


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今では一部の宗教家は、
現代社会の「人間は悪魔」に侵されているということで、

言われもない誹謗中傷をしている。



攻撃の対象が「イスラム社会」であるが、
日本ではキリスト社会の残酷さを報道されてはいない。


キリスト社会のイスラム社会への空爆では、
逃げ惑う女、子供へらに関係なく攻撃の嵐となっている。


多分我々が想像出来ないぐらい「残酷」だとも言える。


それらの事実を目にしても、
キリスト教信者は何とも感じないのだろうか?


我々とは関係ないと平気で思っているのか?



キリスト教以外の他の宗教、
特にイスラム教などは悪魔の化身ということで、



残酷に女、子供が殺されても、
キリスト信者は、
キリストの神に逆らった「罪」と罵る!



上記の
「山上の垂訓」を何度も読み返せと言いたい!



我々日本人も、
もう少しキリスト教の罪悪を、
しっかりと捉えて見る必要がある。


それからキリスト教の信者になるかは自由であるが、、


道端で青い目の外人さんに声をかけられ、



「うつつを抜かしいる」場合ではない。







、、、、、私がそうであったように、、、、









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