自己変革しようとキリスト教に入るが徒労に終わる [ギャンブル]
この歳でキリスト教での、
バプテスマ(洗礼)を受けるける事には、
抵抗感がある。
仏教ならこの歳でも、
儀式や勉強など
周りの人の目を意識しなくても良いが、、、
我々日本人には、
漢字の勉強や、
一年中の儀式は殆ど仏教から来ているので、
日常生活では仏教 、神道が、
身体に染み付いている。
案外キリスト教は近いようで、
まだまだ馴染みが薄いと言える、
教会の勉強会では矢張り他人の目が気になる。
極端に言えば、
教会での祈りなどの儀式は、
居心地が悪い状態である。
恥ずかしいと言える。
恥ずかしいと言える。
しかし物事、
行動を起こさいないと前に進まない。
既存キリスト教、仏教、神道では、
自分が救われない変われない気がするので、
頑張ってモルモンの書を読む事に、
邪念を振り払い集中する。
末日聖徒イエス・キリスト教の、
モルモンの書の教典を読み進み、
2017年10月22日。
バプテスマを受けられる様になった。
この日の為に、
半年近く朝5時頃に目覚め、
目覚めたら何も考えずに、
モルモンの書を読む習慣をつけるが、
無理に読んでいる日々は、
辛いものである。
それに増して、
信仰心の強化にはこの歳になると、
現実の世界から中々離れる事が出来ずに、
執着心や苛立ちで邪念が心を乱し、
何度も聖典を放り投げる事もあった。
ここは人生の「最後の挑戦」と考え、
邪念を振り払いながらも朗読する。
思い起こせば先々月までに、
「新約聖書」や「歴史書」などの厚い文献を読み込んだので、
今回の「モルモンの書」も何とか、
読み越す事ができた。
少し読み疲れで惰性が出てくると、
宣教師さんが家に訪れ、
末日聖徒イエス・キリスト教の、
理解を深めるレッスンをして貰い、
バプテスマの準備の整えた。
他の教会によれば、
バプテスマを受けるのは簡単と聞いたけど、
末日聖徒イエス・キリスト教会のバプテスマの儀式は、
簡単に行わずに厳かに厳粛に行われるとの事。
簡単に行わずに厳かに厳粛に行われるとの事。
それだけ神との聖約は大切ということであるのか?
取り敢えずバプテスマを受ける事が出来た。
そのことから「教会生活」「信仰生活」の、
日々のブログ書いてみようと思ったが、、、、
が、、、
日々のブログ書いてみようと思ったが、、、、
が、、、
結局、、、
徒労に終わる。
言えることは、
人間そうそう簡単に変わることが出来ないという事である。
人は「自分自身」が嫌になり、
徒労に終わる。
言えることは、
人間そうそう簡単に変わることが出来ないという事である。
人は「自分自身」が嫌になり、
「つまり自己嫌悪に陥り」
自己の変化を求めて何かをしよと思うが、
好きな事なら良いが、
好きでもないことに労力を使うのは、
ヤハリ難しい、
好きでもないことを無理に頑張るのも、
人生の無駄と悟った。
無理なことは無理。
「自己嫌悪」に陥ったら過ぎ去るのを待つしか無い。
取り敢えずポジティブに過ごす習慣を身につける。
自己の変化を求めて何かをしよと思うが、
好きな事なら良いが、
好きでもないことに労力を使うのは、
ヤハリ難しい、
好きでもないことを無理に頑張るのも、
人生の無駄と悟った。
無理なことは無理。
「自己嫌悪」に陥ったら過ぎ去るのを待つしか無い。
取り敢えずポジティブに過ごす習慣を身につける。
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