ギャンブル依存症を自力で脱却できないので宗教に加入してみた [宗教]
ギャンブル依存症は自力では脱却できないので、
キリスト教に改宗してギャンブル依存症からの、
脱却を目指す道筋をブログに書いてみたが、
結局不発に終わった。
このブログは2017年10月26日投稿で現在の心境とは違います。
悪しからず。
現在の心境は最後に編集しています。
何十年間ギャンブル依存症から脱却できず、
苦しんできた。
ギャンブル依存症の脱却は簡単そうで、
実に難しい事を痛感する。
依存症からの脱却のために、
色々な宗教の門を潜ってみたが、
中々依存症からの脱却は難しい。
そこで思い切り、
「末日聖徒イエス・キリスト教会」に、
入信しようと試みる。
その過程をブログに書いてみたいと思ったが、、、
心から宗教にハマることが難しい。
何故?この教会かと言うと、
世の中には五万と言われるキリスト教会があるが、
カトリック教会以外のプロテスタント教会は、
殆どが独立清算の形を取っているので、
タテ・ヨコの繋がりが浅い様な気がした。
一言で言えばまとまりのない宗教と言える。
各自の聖典・聖書など解釈がバラバラで、
意味が分からずお手上げ状態である。
カトリック教徒は、
ローマ教皇を中心に縦の流れがあるが、
街に溢れているプロテスタントの教会は、
それぞれ教えがバラバラで、
争いの種を含んでいるのも恐ろしい気がする。
実際争いのタネは尽きない。
末日聖徒イエス・キリストも同じと言える。
聖書の解釈の違いはあるにしろ、
お互いが、
妥協できる範疇の線の引き方は、
難しい問題とも言える。
プロテスタントの教会員同士は、
その線引を模索しながら各々接点を見出そうとするが、
それでも争いのネタは尽きない。
知り合いのプロテスタント教会員の、
話を聞く機会があった。
その教会員は、
元「中学校の教師」という、
長年のプロテスタント教会員の牧師さんで、
聖書の話をしてもらったが、
案外熱心な宗教活動をされた方で、
しかし、その熱心さゆへ他の宗教団体との接点が見えなく、
争いの種は尽きなく、
平行線をたどる運命となる。
40年近く聖書の勉強していたと言う牧師さんが、
一週間に三日間、私の家に訪ねてきて、
聖書の勉強会を開いていたが、
ひと月位してから、
ある日を境に来なくなった。
40年間聖書の勉強してきてキリストに仕えて人も、
何か意見の「相違」でひねくれてしまうのも、
キリスト教聖職者の堕落的な考えでもある。
私にしてみればキリスト教の人間性を色々見ていたから、
予想の範疇ではあったが、、、、、
引くのが早すぎだと思うと、
何故か怒りが湧いてくる!
家の近くには色々な教会があるが、
聖典の教えによる信者の行動立ち振る舞いから、
(親切、優しさ、思いやり、
献身的、穏やか、徹底的な教育戒めなど)。
「末日聖徒イエス・キリスト教会員」が、
比較的良いのかなと思う時があったので?
そこの教会に足繁く通っただけである。
エホバの証人も人あたりは良いとされているが、
案外話が食い違うと、
怒りやすい性格の人が多いのも「特徴的」である。
末日聖徒イエス・キリスト教の宣教さんは、
外人さんが多く、
アメリカ、オーストラリア、カナダなどから来日して、
日本に2年間の宣教活動を任されているという。
そこは文化圏の違う日本に派遣され大変とも思えるが、
結局は、
共有出来る聖書と他人に話をすることで、
宣教師さん本人も「慰められる」という、
精神的構造が彼等を揺り動かしていると思える。
間違った宗教とか「異端」などと言われても、
残り人生をその宗教に頼るのも良いと感じ、
しばらくはその宗教で学び「パブテスマ」を、
受ける覚悟で臨むことにした。
この歳で心の宗教改宗は厳しいものがあるが、
神に徹底して祈れば目の前の「モヤ」が晴れると信じ、
日曜日の集会に頑張ってみたが、
結局無理であった。
無理どころと言うより。
益々ギャンブル依存症は治るどころか、
足繁に教会でなく、
ギャンブル場に足早に通っている自分がいる。
あ~~~~~~~~~~め~~ん
ギャンブル依存症からの脱却は~~~
だ~~~~~~~~~~め~~んです。
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